桜プリント社

人物トライアングル

山口鷺流狂言保存会 米本太郎氏
第4回 2012.04.02
山口文化の土壌づくり
山口鷺流狂言保存会
米本太郎氏
米本太郎氏は山口県の指定無形文化財第一号として指定した山口鷺流狂言を父と共にメインメンバーとして継承活動をする一方山寺コンサートを主催するなど山口市の文化振興のために他方目に渡りご活躍されています。
狂言を始められるきっかけは?
三歳の時に山口鷺流狂言の継承者であった父について行ったのが始まりです。
それから、大学で東京に行っていた時代以外は狂言と一緒に育ってきました。
父の存在もありましたが、狂言は私にとって空気のような存在でした。
今力を入れている活動は、狂言の楽しさをわかってもらうことです。地元の小学校を初めとして全国各地で上演をしています。子供の反応は素直で、子どもの笑いで演技の出来が分かります。もともと狂言は笑いを旨とした喜劇で、誰にでもわかる楽しい芸能なのです。

最近はおかげで、街中を歩いていると声をかけられることが多くなりました。その中の一人が京都にでて舞妓になった報告を受けました。鷺流との出会いによって彼女が自分の世界を見つけることが出来てうれしく思いました。
誰もがそれぞれの花を咲かせる種を持っています。
だから私は狂言の花が咲かなくても、狂言に触れることによりその人一人ひとりの花が咲いて頂ければと思い活動しています。今後も各地での公演や山寺コンサートなど、多種多様な文化や芸能の支援活動に携われたら幸せです。

山寺コンサート
山寺コンサート
山口鷺流狂言保存会事務局(山口市教育委員会文化財保護課内)
TEL 083-920-4111
・・・・・インタビューを終えて
先日、山寺コンサートに行ってきました。
狂言はもとより子どものコーラス隊、青年の和太鼓、雅楽など多種にわたる芸能に触れて心和む時間を過ごさせていました。もしかしたら、江戸幕府のように米本さんが多くの芸能を今後育てて頂けるのではないかと期待を持たせて頂きました。

※鷺流狂言
狂言は江戸時代、主に大蔵、鷺、和泉の3流派があり、鷺流は、江戸幕府の筆頭狂言方として抱えられていました。江戸幕府の崩壊により後ろ盾を失った狂言諸流派は衰退しましたが、のちに大蔵・和泉は復活を遂げます。しかし、鷺流は家元が途絶え、復活することができませんでした。ただ、長州藩に抱えられていた鷺流の狂言方が、奇跡的に山口に芸を残し、今日まで伝承されています。鷺流は山口市のほかは新潟県佐渡でのみ伝承されています。

※山寺コンサート
山口市大内御堀にある興隆寺の「二月会(にがつえ)」の復興を目指して開催されています。興隆寺では室町時代に五穀豊穣(ほうじょう)や国の安泰を願いお祭りが始まりました。童舞や歩射を行うその祭りは毎年2月に行われるので「二月会」と呼ばれました。江戸時代に入り能、狂言も演じられましたが江戸末期には消滅しました。